活 動 記 録

2025年2月20日 スタディツアー報告

2024年11月の事務局会議で、2024年1月1日に発生した能登半島地震の被災地で続けられている宗教者による支援活動を見学するスタディツアーが提案された。具体的な候補として、金光教大阪災害救援隊の名前が挙がった。それを受けて同救援隊リーダーの竹内真治氏と連絡を取り合って調整したが、都合が折り合わず、とりあえず同行を見送ることにした。代わりに、竹内氏が教会長を務める金光教鶴橋教会を訪問して、金光教大阪災害救援隊の活動についてお話を伺うことになった。

2025年2月20日(木)午後、鶴橋駅に集合し、そこから歩いて教会を訪問した。竹内氏は、支援活動で能登に出発する前日であったにもかかわらず、貴重な時間を割いて我々の質問に対し、丁寧に答えてくださった。お話の内容の主要なポイントは以下のとおりである。

  • 金光教大阪災害救援隊が発足したのは2011年の東日本大震災がきっかけであった。当時金光教大阪センターの職員でもあった竹内氏は、現地の状況がテレビで流れるのを見て居ても立っても居られなくなり、当時のセンター所長に対し、職を辞する覚悟で被災地に行きたいという思いを伝えた際、その活動に賛同してもらったことが始まりである。
  • 最初は何をやれば良いか分からず、救援物資を持って避難所を回ったが、その途中、炊き出しの豚汁を親子が涙を流しながら食べているのを見て、自分もいつかはああなりたいという思いを抱いた。
  • その後、現地を見て回っていて、孤立している集落を見つけた。立ち寄ってみると、ここには救援物資が届いていないとのことで、物資を提供したところ大いに喜んでもらえた。その後、すでに現地入りしていた川浪剛氏(支縁のまちネットワーク前共同代表)の協力を仰ぐことができて、孤立集落に救援物資を繰り返し届けることができた。
  • そうこうしているうちに、あるNPOから道具を借りて炊き出しを始めることができるようになった。それからは炊き出しを中心に救援活動を続けている。金光教大阪災害救援隊の発足以来、激甚災害が起こった地にはすべて入っており、これまでの13年間で通算200回ほどになる。
  • 能登半島地震発生以降は、月2回のペースで能登の輪島市門前町において炊き出しを続けているが、現地では、公民館を間借りさせていただくなど大変協力的である。
  • 現地に行って感じたのは、行政がほとんど何もしてくれないということ、また多くのボランティアは被災者の都合を必ずしも十分に考えていないということだった。
  • なぜ輪島市門前町を選んだかというと、同市の朝市通りなどマスコミに注目される場所と違って、ほとんど目立たない地味な場所であり、ボランティアの手も行き届いていないと感じたからである。
  • この地区は2024年9月の豪雨でも大きな被害が出たところで、被災者は「神も仏もない」と大いに落胆していたが、その中を我々が駆けつけたので涙を流して感激してくれた。
  • 冬の時期は能登まで往復するだけでも大変な労力を要するが、待ってくれていると思うと行かずにおられない。危険な目にも遭ったが、これまで一度も事故がないのは、神様に守られているとしか思えない。
  • 13年にわたって支援活動を継続しているが、慢性的な人手不足であり、さらに資金調達にも苦労している。それでも、被災者の方々には少しでもいいものを食べてもらいたいという思いは変わらない。
  • 実は2年前に胸腺癌が見つかった。平均してあと5年の命と言われ、他に治療法がないので放射線治療を受けた。治療は12月までかかったが、年が明けてすぐに能登の地震が起こった。自分は病み上がりだし、医師からは「こけたら,骨がばらばらになりますよ」と忠告されてもいた。どうするか自分自身に尋ねてみたところ、「お前が行かな誰が行くねん」という声が返ってきた。それで能登に行った。最初は14時間かけて行ったが、傷口に血がにじむほどつらかった。それでも被災地の人たちに何かしてあげたいという思いで行っていた。
  • 同時に、この活動を通して自分の身に徳を積むことが教会の信者や教会家族のためでもあるという思いがあった。後のことは神様がよくしてくれるはず、これは神様との約束でもある。
  • しんどい思いをしても、炊き出しに行くといつも家族同様に暖かく迎えてくれる。炊き出しの最中も笑顔が絶えることがなく、他の地区からも羨ましがられるほどである。
  • 金光教の教師であった中山亀太郎師が、「真剣に苦しみ 真実に生き 運命を愛し 運命を生かす」という言葉を残しているが、その前半部分を自分は座右の銘にしている。救援隊ではストレスが多いが、「真剣に苦しみ 真実に生き」てきたと思う。
  • 金光教では各教会で、生神金光大神のお手代わりとして結界取次(人の願いを神に取り次ぎ、神の思いを人に取り次ぐわざ)が行なわれているが、支援活動は「取次の出前」だと思っている。

これら以外にもリアルな話を2時間以上にわたって伺うことができ、非常に有意義な時間であった。なお、参加者は、金子、北村、中西、岩村、宮本の5名であった(敬称略)。

(宮本要太郎 記)